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第8回 和訳編:「training」、辞書には確かに「訓練」と載っているけれど……

trainingという語は「なーんだ、カンタンじゃない」と思えるかもしれませんが、実は意外に曲者なのです。次の文をご覧ください。

New employees must take this training before access to information or service is granted.

この文を「新入社員は、情報またはサービスへのアクセスを付与される前にこの訓練を受けなければなりません。」と訳す翻訳者は、かなりの比率で存在します。ところが、この訳文に違和感を感じて、直されるお客様もまた多いのです。

どういうことなのか? いつものように辞書の定義から見てみましょう。

<日本語の定義>
大辞林で「訓練」を引くと、

  • あることについて教え、それがうまくできるように技術的・身体的練習を継続的に行わせること。*「職業―所」
  • 〔教〕児童・生徒に直接働きかけ、目標に到達するまで継続的に行わせること。
  • ある事を習熟させるため、実際にそれをやらせること。*「実地―」*「―生」

とあります。

<英語の定義>
ランダムハウスで「training」を見てみます。専門用語の定義を除くと、

  • 教育、訓練、しつけ、練習、鍛練、養成、トレーニング、(馬などの)調教:academic training学校教育 professional [or vocational] training職業教育 training for doctors医師の養成 go into trainingトレーニングをする receive special training特訓を受ける He's in training for the Olympics.彼はオリンピックに向けて訓練中である.
  • 訓練を受けた者の仕上がり状態,コンディション:be out of training 練習ができていない.

確かに英和辞典を引くと、trainingの第一義に「訓練」と出ているわけです。では、いったいどこがいけないのでしょう……? いまこのコラムを読んでいる方、冒頭の訳文を加工した次の文を読んで、「○の中に入れてしっくり来る語」は何か、ちょっと考えてみてください。

「新入社員は、情報またはサービスへのアクセスを付与される前にこの○○を受けなければなりません。」

「新入社員が受ける○○」……? こう書けばすぐ「ああ、そういうことね」とおわかりだと思います。そうです、ここには「研修」「トレーニング」のどちらかが入るとすんなり読める文になります。「訓練」の語にはどうしても「学校」のイメージがつきまといます(日本語の辞書の定義の(2)ですね)。ならば企業においてtrainingというと……。いまこれを読んでいる方、新卒入社でも、中途入社でも、会社に入ったときに(社内でも、社外でも)trainingを受けませんでしたか? そのときに社の資料にはなんと書いてありましたか? おそらく「研修」がほとんどではないですか?

もちろん、「訓練」でも間違いではありません。これを「誤訳」と言う人はあまりいないでしょう。でも、「適語かどうか」となると、「研修」が入っていたほうが違和感なく読める。そう思いませんか? 

2段落前にわたしは、ここには「トレーニング」も当てはまる、と書きました。もちろんOKです。ならば「研修」と「トレーニング」はどう使い分けるのかというと、わたしは次のように考えています。小学生時代に算数で習った「集合」の図を思い出してください。この小さいほうの円が「研修」、大きい円が「トレーニング」である、と。「トレーニング」のほうが含有する意味が大きく、その一部として「研修」がある、というのがわたしの理解です。

研修、トレーニング

具体的に言うならば、「研修」は、新入社員が配属前にいろいろな部署でいろいろな業務体験をすること。さらに、どのようなスタッフであっても(新入社員に限らず)社内や社外で講師やトレーナーについて、業務の役に立つ何かを教わること。座学の場合も実習形式の場合もどちらもあるが、少なくとも数時間以上のもので、数日間から数ヵ月間にわたることもある。通常業務とは直接関係ないプログラムで実施されることも多い。「研修を受ける」「研修に行く」というように使う。

対して「トレーニング」はもっと広い意味を持つ。同じ「教えてもらう」のでも、業務を遂行しながら隣の席の先輩社員からちょっとしたコツを教えてもらうことも指し、数分で終了する場合もある。よって、使える範囲もかなり拡大されます。「新しい社内システムについて、○○部門の担当者xxさん、yyさんのいずれかから、各自で30分間ほどのトレーニングを受けてください」という文章の場合、「トレーニング」が適語であって、「研修」に置き換えると違和感があります。そのように、わたしは考えています。

trainingは基本的に4つの訳語(トレーニング、研修、教育、訓練)を持ち、産業翻訳においては、その中でも「訓練」の語を使う頻度がもっとも低いとわたしは思っています。明らかに適切な使用である(「避難訓練」など)場合を除いて、ビジネス現場では「研修」「トレーニング」を使用するほうが適切であることが多いでしょう。

では今回もここで、辞書の定義に従って例文を挙げておきましょう。

  • He resigned from the company and entered a job-training school.
    彼はその会社を退職して職業訓練校に入学した。
  • The program has trained many athletes for the Olympics.
    そのプログラムでは、オリンピックに向けて多くの選手を養成してきた。
  • He did well in his last competition despite being out of training.
    彼はコンディションが悪いにもかかわらず、前回の大会ではいい成績を残した。

辞書を大切に……とこのコラムで毎回書いてきましたが、辞書だけに依存するのでは「しっくりいく翻訳文」が書けないこともあるのです。ではどうしたら良いのか。言葉のセンスを磨くしかないのですが、そのためにはターゲット言語(母国語)の多読も必要です。特にビジネス書や日経新聞を毎日読んでいるかどうかは、ちょっとした語のセンスに必ず表れてきます。産業翻訳ならばどんな分野であっても、ビジネスの現場で頻繁に使われる表現を押さえておいて損はしません。もっと本を読みましょう、多読でも精読でも。そしてアウトプットにおいては、常に「(必ずしも『最適』ではなくとも)より適切な語」を選んで訳文を組み上げていくように心がける。小さな努力でも、積み重ねればそれだけ利いてくるものです。

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