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第10回 和訳編:「exciting」をどう訳す?――翻訳者の腕の見せ所

今回は、「来た来た!」と思ってくださった方もいらっしゃるかもしれません。英日翻訳者泣かせのトップを争う(とわたしは勝手に思っている)exciting(excited)という語。これがビジネス文書、特に広報文書では頻出するのです。

It is a new exciting technology that has great potential.
それは非常に大きな可能性を秘めた、新しい興奮するテクノロジーなのです。

「興奮するテクノロジー」と、日本語だけ読むと違和感がありませんか? なぜなのでしょう……?

いつものように辞書の定義を見てみましょう。

<日本語の定義>

大辞林で「興奮」を引くと、「(1)物事に感じて気持ちが高ぶること。*「―して眠れない」
*「士気自ら―する/此一戦(広徳)」(2)刺激によって神経の働きが活発になること。特に、生体またはその器官・組織が刺激によって休止状態から活動状態へ移ること。」とあります。

<英語の定義>

ランダムハウスで「exciting」を見てみます。「人を興奮させる、刺激的な、わくわくさせる(ような)、好奇心をそそる 広告などで新製品の修飾語として使われることがある:an exciting lifestyle 刺激的な生き方 an exciting account of his trip to Tibet 手に汗を握るような彼のチベット旅行談」

まず日本語の「興奮する」は、あまりビジネスに使われる語ではない、とわたしは思います(日経新聞で毎日見かける語ではない)。感情をあらわにすることを恥と考える文化を持つ日本人にとって、ビジネスとは「冷静に対処すべき事柄」です。気持ちが高ぶったり、強い刺激を受けたりすることは実際にはあっても、それを文書として発表する習慣はないと言えるでしょう。よって、ビジネスの話をしているときに「興奮」してしまうと「あの人は自分の感情すらコントロールできない。そんな人にまともな仕事ができるわけはない」と思われる可能性も大きい。よって、「興奮」は日本語としてNGワードなのです。

それに加えて、excitingという形容詞は「他動詞的に」使われる語なのです。すなわちexciting technologyは「(人間を)興奮させるような技術」という意味なのに、「興奮するテクノロジー」「わくわくするテクノロジー」と処理されることが多いので、余計に違和感があるのです。

実際の翻訳文を見てみると、「わくわくする(ような)」と訳す翻訳者が一番多いかもしれません。「わくわくするようなテクノロジー」……。確かに、意味としてはそういう意味なのかもしれません。しかし「わくわくする」も、前述の理由により実際の(日本の)ビジネスではほとんど使わない語です。なのに excitingやexcitedは、米国のプレスリリース文などにとにかくよく登場する。新製品、人事(特に昇格の場合)、取引(特に提携関係など)、と、プラス面のどんな文脈においても、だれかのコメント文となるとこの語が使われていないほうが珍しい……というくらい。そんな事情があって、翻訳者泣かせの語になっているとわたしは思っています。

では、次の文はどうでしょう。
We are excited to contribute our technology to enable this innovation.
私たちは、このイノベーションを実現させるために当社の技術が寄与できるということにわくわくしています。

受動態になっているほうがまだ訳しやすいかもしれません。「わくわくしている」動作主体は主語ですから、日本語への変換(処理)もラクであるということです。

しかし、例えば冒頭の文をこう訳してはどうでしょうか(英文も再掲します)。

It is a new exciting technology that has great potential.
それは非常に大きな可能性を秘めた、熱い注目を浴びている新しいテクノロジーなのです。

訳文だけ読んでみて、喉に何かひっかかる感じもなく流れて読んでいけると思いませんか? 今回の話題とはちょっと外れますが、翻訳のテクニックとして newとexcitingの順番を入れ替えたことにも注目してください。newを先に持ってくると「新しい、熱い注目を浴びているテクノロジー」と読点を入れないと読みづらくなります。excitingを先にすると読点が不要となり、結果として読みやすい訳文となります。

では受動態の文もやってみます。
We are excited to contribute our technology to enable this innovation.
このイノベーションの実現に当社の技術が寄与するということで、社内は活気に満ちています。

「活気」はビジネス翻訳において使い勝手の良い語だと思います。「興奮する」「わくわくする」のは苦手でビジネスの場における言葉としてふさわしくなくとも、「活気のある」状況は好ましいのです。

こういうところは辞書には載っていません。ソース言語に対して一対一で自然な訳語がなかなか見つからないときには、まず「プラスの意味かマイナスの意味か」を考える。exciting、excitedはビジネス(特に広報文書)で使用されるときにはまず「プラス」の意味を持ちます。わくわくするような期待感、これから何かが始まるというときの胸の高鳴り、そういうイメージです。

そのイメージを訳文に移していく。やってみると、苦しいこともあるけれど、とても楽しく感じる作業です。翻訳者でよかった!という満足感が湧いてくる作業でもあります。繰り返しますが、まずは「プラスの意味なのかマイナスの意味なのか」ここが外してはならない最大のポイントです。それからイメージを組み上げて、訳文を作っていく。翻訳という作業に慣れてきたり、特急の案件だったりするとこの姿勢をつい忘れて反射的に訳してがちですが、翻訳の基本に戻って考えていくことを、時折やってみましょう。必ず新しい発見があることと思います。

では最後に、今回も辞書の意味を使った例文を挙げておきます。訳し方の一例としてご覧ください。

The adventure camp was the most exciting experience in his life.
その冒険キャンプは、彼の人生においてもっとも心躍る経験となった。

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