詞藻の海

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第1回 ≪海鼠の君はどんな魚姫に恋をしたのか≫

憂きことを海月に語る海鼠かな黒柳召波(江戸中期の俳人・漢詩人)

海月(くらげ)と海鼠(なまこ)の組み合わせが絶妙だ。世の中にさほどの貢献もしないで、浮世に長けた海月に、明日の命もままならない海鼠が恋の悩みを打ち明ける。「憂きこと」とは、恋の悩みとも、人間に捉えられていつ食べられるかもしれない悩みともとれる。どのような鑑賞の世界に遊ぶかはあなたの想像力の問題。

海鼠を詠った句に「思ふこといはぬさまなる生海鼠かなー与謝蕪村」「尾頭の心もとなき海鼠かなー向井去来」「階段が無くて海鼠の日暮れかなー橋關ホ」「考えの底のつきたる海鼠かなー蓬田節子」などがある。

じゃんけんで負けて蛍に生れたの池田澄子(1936ー)

「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見るー和泉式部」「音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけりー源重之」のように、蛍は万葉の昔から恋の情念や魂や命と関連付けて詠われてきた。桂信子は心を許し合ったふたりの関係を「ゆるやかに着て」と官能の世界を詠っている。「ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜」。丹羽文雄の小説「天衣無縫」の主人公となった波乱に満ちた鈴木真砂女は「蛍火や女の道をふみはづし」と自戒ともとれる句を残している。掲句は、「じゃんけんで負けて」がいい。浮世は借りの宿に過ぎず、人間として生まれても蛍として生まれてもいずれは奥津城へと旅立つ。

前田普羅は「人間の肉体には獣がゐる」と言い、「人殺すわれかも知らず飛ぶ蛍」と詠っている。人はどこかに怪しい閾があるのかも知れない。師の高浜虚子はこの句に対して「君の句稿中の好句として推すわけにはゆかない。しかも特異なるものとしてこれを見捨てるわけにもまたゆかない」と述べている。また、与謝蕪村は「学問は尻からぬけるほたるかな」と楽しい。ちなみに《尻から抜ける》とは「見たり聞いたりしたことをすぐに忘れること」。《目から鼻に抜ける》は「抜け目がなく、賢いこと」をさす。

滝の上に水現れて落ちにけり後藤夜半(1895ー1976)

滝そのものをあるがままの姿に詠んだ、客観写生の代表句として人口に膾炙されている。鷹羽狩行は「スローモーション撮影手法を導入した句の決定版」と評している。また、作家の高橋治は「さして感動もしなければ、後藤夜半という一人の俳人の真骨頂がうかがえる句とも思わない」と言い、「虚子の流した客観写生の説の弊が典型的に見えるようで、余り好きになれない」とつれない。好みは人それぞれであり、毀誉褒貶の多い作品ではある。ちなみに滝を詠んだ秀句にはことかかない。高浜虚子「神にませばまこと美はし那智の滝」水原秋桜子「滝落ちて群青世界とどろけり」山上樹実雄「滝のおもてはよろこびの水しぶき」

さくらんぼ笑みで補ふ語学力橋本美代子(1925ー)

これが若い女だからこそゆるされるが、男なら絵にならない。ことばがなかなか通じない外国人に、微笑みを向けての会話である。なんともメルヘンチックな光景である。「さくらんぼ」がぴったりの句だ。これが「いちじく」でも「りんご」でもしっくりこない。

「さくらんぼ」を題材とした句を挙げておく。嶋田麻紀「幸せのぎゆうぎゆう詰めやさくらんぼ」清水衣子「笑窪とてひとつは淋しさくらんぼ」右城墓石「一つづつ灯を受け止めてさくらんぼ」

あやまちはくりかえします秋の暮三橋敏雄(1920ー2001)

広島の原爆死没者慰霊碑に、「安らかに眠って下さい過ちは繰返しませぬから」と刻まれている。この「あやまちはくりかえしません」という広島の平和の誓いをハンマーで打ち砕くかのようだ。「歴史は繰り返す」という言葉に通じる。人は過ちを繰り返す存在であることは証明済みだ。「あやまちはくりかえします」と断言したところに、作者の断固とした意思を感じる。誰が誰に投げかけたメッセージなのか判然としない誤魔化しの碑文。生涯にわたり反戦句を作り続けた作者の慟哭の一句だ。静かなる力強い抗議。

その他に、「戦争にたかる無数の蝿しづか」「いつせいに柱の燃ゆる都かな」「満月や水平永く立泳」などがある。

秋風よ真面目は全部正しいか田邊香代子(1931ー)

平成4年まで法務省の法務専門官として47年を過ごした。在職中に霞ヶ関俳句会に所属した。同僚には推理作家となった結城昌治、「ミスター検察」と呼ばれ、癌との闘いの記録『人は死ねばゴミになる』を書いた伊藤検事総長がいた。真面目人間や正直者は何時の世も生きにくく、割を食うのだろうか。そうだとすれば、遅くはない今日から真面目は返上したい気分になる。「真面目ほど恐ろしいものはない」と言った人もいる。また「素直で真面目に生きるのはあまりにも惨めである」などと聞くとやるせない。この句の「真面目」はいかに定義すれば良いのだろうか。作者に問かけられた秋風はいったい作者にどんな答えを贈ったのであろうか。秋風よ、教えておくれ!

氏の句には、「指が裂ける股が裂けるとアマリリス」「冬かもめ桃色遊戯していたよ」「腐るまで林檎飾って見ていたる」などがある。

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