詞藻の海

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第2回 ≪あえかな色の移ろい≫

白藤や揺りやみしかばうすみどり芝不器男(1903-1930)
白藤や揺りやみしかばうすみどり

≪しらふじやゆりやみしかばうすみどり≫
白藤の花房が垂れさがって風に揺られ交わりている時は、白く見えるが、やがて風がやむとうすみどりを呈していることに気づいたのだ。なんとも調べのいい歌だ。動と静、白と緑の鮮やかなコントラスト。28歳の若さで流星のごとく世を去った作者の過敏なほどの感性が観た細やかな心づかい。氏には≪あなたなる夜雨の葛のあなたかな≫の句がある。日本語の調べの美しさに感嘆するばかりだ。そぼ降る雨に濡れた葛の花に想い起こされた郷愁!これほどまでに作者に懐かしさを誘うものはなんなのであろうか。この句の前書きに「二十五日仙台につく。みちはるかなる伊予のわが家をおもへば」とある。高浜虚子は「この句は作者が仙台にはるばるついて、その道途を顧み、あなたなる、まず白河あたりだろうか、そこで眺めた夜雨の中の葛を心に浮かべ、さらにそのあなたに故国伊予を思う、あたかも絵巻風の表現をとったのである」と述べている。

春蘭や雨をふくみてうすみどり杉田久女(1890-1946)
春蘭や雨をふくみてうすみどり

≪しゅんらんやあめをふくみてうすみどり≫
春蘭の花が雨露を宿して花のうすみどりが鮮やかに浮き上がっているのだ。花弁に斑点があるので「ほくろ」とか「じじばば」とも呼ばれる。久女の作品は句姿が美しく、格調が高く、流れるような調べ、切れのよさを特徴とする。たとえば、≪風に落つ楊貴妃桜房のまま≫≪むれ落ちて楊貴妃桜尚あせず≫≪むれ落ちて楊貴妃桜房のまま≫がる。楊貴妃桜は八重桜の一種で、花びらがひとひらずつ散ることはなく、房のまま落ちる。傾国の美女楊貴妃が反乱の中で殺害された景と「風に落つ」とが響き合っている。楊貴妃桜は久女その人をも意味するようにもとれ、濃艶な叙情を醸している。

白牡丹といふといへども紅ほのか高浜虚子(1874-1959)
白牡丹といふといへども紅ほのか

≪はくぼたんといふといへどもこうほのか≫
清楚で甘美な芳香を漂わせている白牡丹とはいいながら、淡い紅がさしている。この句は「いふといへども」とくねった逆接表現が特徴だ。これが「白牡丹といへども紅ほのか」ならつまらない句になってしまう。他に「白牡丹いづくの紅のうつりたる」がある。また森澄雄は「ぼうたんの百のゆるるは湯のように」と詠嘆している。風にゆれ動く牡丹の姿を、湯水が波打って動くようだという。もう何もいうことなしの秀句。同工異曲に、高浜虚子の「ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に」、阿波野青畝「牡丹百二百三百門一つ」がある。

朝がほや一輪深き淵の色与謝蕪村(1716-1783)
朝がほや一輪深き淵の色

≪あさがほやいちりんふかきふちのいろ≫
「澗水湛如藍」(かんすいたたえてあいのごとし)の前書きがある。宗代の禅の語録「碧巌録」(へきがんろく)という、禅宗の書からの引用。この前に「山花開似錦」(さんかひらいてにしきににたり)がある。つまり、『春の山は咲き乱れる花で錦のようだ。
谷は流れる水は無色だが、満々と湛えた淵では深い藍のようだ』という意味。これを踏まえて掲句の意味は、一輪の朝顔に朝露がたっぷりと湛え、深い川の淵のように藍の色を帯びていることだ、となる。朝顔を詠った秀句は多い。「朝顔の紺のかなたの月日かな?石田波郷」「朝顔の双葉のどこか濡れゐたる?高野素十」「朝顔や露もこぼさず咲きならぶ?三浦樗良(ちょら)」

白木蓮の純白といふ翳りあり能村登四郎(1911-2001)
白木蓮の純白といふ翳りあり

≪はくれんのじゅんぱくといふかげりあり≫
早春に枝先に白い香り豊かな六弁花をつける。純白のなかにくすんだ翳りあるという。幽かな色の違いを捉え白木蓮の特質を描ききっている。どこかに滅びの美を見ているような、切なさを感じとれる。白木蓮は花の盛りを過ぎると急速に容姿を崩し衰えてゆく。花の命は短い。他の句に「夏掛けのみづいろといふ自愛かな」「老いにも狂気あれよと黒き薔薇とどく」「昼寝覚しばらくをりし白世界」「火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ」「春ひとり槍投げて槍に歩み寄る」「子にみやげなき秋の夜の肩ぐるま」など、哀切の響く秀句が多い。

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