詞藻の海

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第3回 ≪厳しい寒さが詠ませた俳句の世界≫

芋の露連山影を正しうす飯田蛇笏(1885ー1962)

≪いものつゆれんざんかげをただしうす≫
「芋」は和歌や俳句では「里芋」をさす。また「影」は同様に、「影・姿・光」をさす。崇徳院の院宣をうけて『詞花和歌集』を撰進した藤原顕輔の歌に≪秋風にたなびく雲の絶え間より漏れ出づる月の影のさやけさ≫『新古今集』がある。「秋風に吹かれ横に伸びた雲間から漏れ出た月の光のなんと澄みきっていることだ」となる。里芋の葉に凝った一粒の水晶のような露に、稜線を連ねた鮮やかな山々の勇壮とした姿が、凛と写しだされている。小から大へ、近景から遠景へ広がる風姿を鮮やかに活写している。蛇笏(だこつ)一代の名句とされている。なお、この句は、「里芋の葉に朝露がびっしりと宿し、冴え冴えとした空の遠くには、豁然たる山々の風姿がくっきりと浮びあがっている」とする鑑賞もできる。

蛇笏の秀句を挙げておく。「をりとりてはらりとおもきすすきかな」「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり」「たましいのたとえば秋の蛍かな」(これは芥川龍之介への追悼句)「わらんべのおぼるるばかり初湯かな」(わらんべ、とは緑児のこと)「春の鳶寄りわかれては高みつつ」

冬の水一枝の影も欺かず中村草田男(1901ー1983)

≪ふゆのみずいっしのかげもあざむかず≫
昭和8年12月3日、ホトトギスの武蔵野探勝会の吟行会が普済寺という古刹で催された折りに詠んだ句。「冬の水」は、「欺かず」からして静止した水面でなければならないから池か沼であろう。「一枝」は葉のすっかり落ちた枯木の枝たちだろう。真青なる虚空の下に風もそよともしない厳冬の水面は、造化の鏡のように光り輝き、枯枝の一枝一枝までもあやまてることなく映し出している。

草田男といえば、「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句がある。これほど人口に膾炙した句も珍しい。「テオ瑰(はまなす」や今も沖には未来あり」(実現されなかった未来への夢は今も沖のどこかにあるのではないか、と浜辺のテオ瑰に託しているのだ)「妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る」

一月の川一月の谷の中飯田龍太(1920ー2007)

≪いちがつのかわいちがつのたにのなか≫
龍太(りゅうた)は、蛇笏の四男。「かたつむり甲斐も信濃も雨のなか」「かがんぼの音のなかなる信濃かな」(ががんぽ=大蚊)「大寒の一戸もかくれなき故郷」「春の鳶寄りわかれては高みつつ」など、龍太は故郷の甲斐の自然と風土に魅了されて、一生を甲斐で過ごし抒情あふれる句を詠んだ。掲句は、一月の川が一月の谷の中を流れる。ただこれだけのなんの変哲もない句だ。雪国は、色といえば、白と灰色と黒のモノトーンの世界。ほかに何の色彩もない、まるで墨で描いたような寂静たる銀世界が広がっている。一月は寒さの厳しい月であるが、これから始まる一年の初めの月でもあり、希望や願いがこの谷を流れる川から始まる。年の初めを寿いでいるのだ。

駒ケ嶽凍てて巌を落しけり前田普羅(1884ー1954)
駒ケ嶽凍てて巌を落しけり

≪こまがだけいてていわおをおとしけり≫
3山を俳句の題材として意欲的に取り組み本格的 な山岳俳句を詠ったのが普羅(ふら)である。和11年11月末、普羅が甲州に蛇笏を訪ねたときに、「甲斐の山々」と題して、連作5句を作った。掲句はその3句目。普羅の山岳俳句の絶唱ともいわれている。「茅枯れてみづがき山は蒼天に入る」「霜つよし蓮華とひらく八ヶ嶽」「駒ケ嶽凍てて巌を落としけり」「茅ヶ嶽霜どけ径 を糸のごと」「奥白根かの世の雪をかがやかす」

「凍てて」が冬の厳しさを言い尽くしている。何者をも受け容れない威厳に満ちた駒ケ嶽の雄姿があたかも意思を持つかのように「巌を落し」ているのだ。水は凍り体積を増すとその力は恐るべきほどの威力を持っている。山肌の巌をも剥落させることは容易である。山肌から剥がれた巌が大音響と共に深い渓谷に落ちていく。普羅はこの巌が落下する轟音の谺を聞いて、この句を詠んだのではないか。巌の落下する現実の世界は観ていないのではないだろうか。句の中には音は何もしない。深閑とした世界が無限に広がっている。語らずして語る余白の美。

連作5句の最後の句 「奥白根かの世の雪をかがやかす」もまた秀逸である。蒼穹の下に威厳を讃えて聳える白根三山の雪は、清浄な輝きに満ちこの世のものとは思えないほどの白さである。甲斐の山々をこよなく愛した作者の、奥白根への畏敬の表白であろう。

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