詞藻の海

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第5回 ≪さまざまに品かはりたる恋≫

鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし三橋鷹女(1899−1972)

≪しゅうせんはこぐべしあいはうばうべし≫
「鞦韆」は≪ふらここ・ゆさはり≫とも読み、「ぶらんこ」のこと。いずれの読み方でこの句を鑑賞するかは読み手の自由だが、受ける印象はかなり違ったものとなろう。鞦韆は天高く上るまで力強く漕げ、愛は待つものではなく、激しく奪いにいくものなのだ、と。道徳感や優柔不断は恋には必要ないのだ。この句を詠んだとき齢すでに50を越えていた鷹女のなかに、与謝野晶子の「春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ」や「やは肌の熱き血潮にふれも見でさびしからずや道を説く君」の思いがあったのだろうか。歌人塚本邦雄は「馬を洗はば馬のたましひ冴ゆるまで人恋はば人あやむるこころ」と恋の激情を歌った。馬を洗うならば、馬の魂が研ぎ澄まされるまで洗え、人を恋するならその人を殺めるまで恋せよ、と。愛を成就するには心中か殺めるしか道はないのか。『惜みなく愛は奪ふ』を書いた有島武夫は、人妻と恋に落ちてその夫に脅迫されて軽井沢の別荘で心中した。遺書には『愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた』と残されていた、という。鷹女は好き嫌いがはっきりしていた。「夏痩せて嫌ひなものは嫌ひなり」「つはぶきはだんまりの花嫌ひな花」「初嵐して人の機嫌はとれませぬ」のように、性格的にはっきりし過ぎて、多少融通性に欠けていたようにも思える。妥協をしない強烈な個性で生きた生涯であった。また老いを詠った句に孤独の影が濃く滲んでいる。「老いながら椿となつて踊りけり」「白露や死んでゆく日も帯締めて」「緑陰にわれや一人の友もなく」

さまざまに品かはりたる恋をして野沢凡兆(?-1714)

≪さまざまにしなかはりたるこいをして≫
平安朝のドンフアン在原業平(825-880)が清和天皇(850-881)の后となる二条の后こと藤原高子(842-910)との恋の物語は『伊勢物語』にある。業平は二条の后や伊勢の斎宮のような高貴な女性との禁断の恋から、地方の田舎娘のような下賎の女性にも及び、うら若い女性から90歳を過ぎた老女にまで「みやび」と「まこと」の心をつくしたのである。このような業平のさまざまな風変わりな恋をした果ての老境をうたいあげている。この句に、芭蕉は≪浮世の果は皆小町なり≫と付合をしている。絶世の美女小町もやがては老いさらばえていく。すべてこの世は諸行無常であり、小町が奥州極楽寺の門前で死に、その髑髏の目の穴から芒が生い茂っていたという伝説のように、浮世の果ては小町の定めと切り捨てる。『伊勢物語』82段では、業平は≪世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし≫と歌い、桜があるがゆえに心を悩ますのだと、逆説的に桜の美しさを愛でる。これにこたえてある人は≪散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき≫と、桜は散るからこそ美しいのであり、世の中に何一つ移り変わらないものはないのだ、と歌いあげる。小町も≪花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに≫と、桜の花と同じように容色も時がたつにつれて衰えゆくと嘆いている。凡兆は、加賀国金沢の出身。京都に出て医者になり、松尾芭蕉に師事したが後に離れた。『猿蓑』を向井去来と編集した。≪下京や雪つむ上の雨の夜≫≪灰汁桶の雫やみけりきりぎりす≫≪市中は物のにほひや夏の月≫などがある。

くちづけの動かぬ男女おぼろ月池内友次郎(1908−1991)

≪くちづけのうごかぬだんじょおぼろづき≫
高浜虚子の次男。1927年パリ国立音楽院に留学し、音楽理論、作曲を学び帰国。日本大学芸術科教授を経て東京藝術大学教授を歴任した。1975年勲三等旭日中綬章を受章。朧月夜に男と女が抱擁をして動かない。「おぼろ」な月と「おぼろ」な男女の状態が官能の世界を増幅して妖艶にして優美だ。二人の人間が一体化している姿は一幅の絵画を観ているようでもある。ロダンにおける健康な≪接吻≫、ムンクにおける破滅の≪接吻≫、ピカソにおける恍惚の≪抱擁≫、クリムトにおける歓喜の≪接吻≫など、愛と死をテーマにした作品を想い起こす。掲句はピカソやクリムトのくちづけだろうか。

除夜の妻白鳥のごと湯浴みをり森澄雄(1919−)

≪じょやのつまはくちょうのごとゆあみをり≫
この句は、作者が武蔵野の片隅で、六畳一間に親子5人で暮らしていた貧しい時代の作。忘年句会で忽然と浮んだのだという。土間に風呂桶を据えて薪で湯を沸かして入浴していた。除夜の鐘が鳴り響き渡っている。家事をすませた妻が終湯(しまいゆ)をしている。土間の薄明かりに照らされて、妻の肌は湯に濡れて白鳥のように白く美しく光っている。「白鳥のごと」が健康的で美しく、エロティシズムを感じさせない。愛妻家の妻への感謝の気持ちを込めて「お前は白鳥のようだ」と、賛辞を贈る。この最愛の妻を亡くして、≪妻がゐて夜長を言へりそう思ふ≫と、激しく孤独を詠っている。供に生きてきた妻がいてこそ、「夜が長くなったね」と言えたのだ。どうしようもないくらいに寂しい。

会ひたくて逢ひたくて踏む薄氷黛まどか(1965−)

≪あいたくてあいたくてふむうすごおり≫
黛まどかは自著でこう解説している。「恋人として、同士として、妹分として、会いたい(逢いたい)人がいます。どうしても今すぐに会いたいのです。“薄氷”は春になって水の表面に張る薄い氷をいいます。“薄氷をふむ思い”などといいますが、もろく危うい感じがします。そんな薄氷を踏んで会いに(逢いに)行こうと一歩を踏み出しました。踏まれて割れた薄氷が、春光を返しています」。『あなたへの一句)』(バジリコ)またWebの黛まどか『17文字の詩』では、「会いたくて逢いたくてしかたないのに、会いに行けない人がいました。早春、水たまりに張った薄い氷を靴先で戯れに踏みながら、会いたいという思いを持て余すばかり。好きになれば、その想いのまま、何のためらいもなく会いに行ける人もいるのでしょうが、私には、どうしても会いに行く勇気が持てず、その薄氷の手前でとどまったまま。春先にうっすらと張った氷のように、ほんの少しの衝撃にもすぐに壊れてしまいそうな繊細な想い。恋にとても傷付きやすくなっていた頃の一句です」とこの句を自解している。黛まどかを世に出した処女句集『B面の夏』(角川書店)がある。この題名は、同句集にある「旅終へてよりB面の夏休」から採られた。楽しい家族旅行≪A面≫から帰り、夏休みの宿題をこなさなければならない辛い≪B面≫の始まりである。掲句も同集に収められている。この句集は第40回角川俳句賞奨励賞を受賞した。

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