詞藻の海

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第8回 ≪芭蕉の音の世界≫

古池や蛙飛びこむ水のおと(蛙合−芭蕉43歳)

≪ふるいけやかわずとびこむみずのおと≫
この句を知らないと日本人ではないほどに人口に膾炙している。だがこの句ほどさまざまに議論されている句もめずらしい。古池はどこにあるのか。蛙は何匹か、一匹か複数匹か。どんな種類の蛙か。蛙は本当に水に飛び込むのか。この句は写生(ノンフィクション)なのか創造(フィクション)なのか。などなど、議論のつきない俳句なのだ。普遍的な解はなく、いずれの鑑賞も自由である。それは読み手の感性や創造性や教養など、来し方の問題だ。

正岡子規は「古池の句の意義は一句の表面に現れたるだけの意義にして、復他に意義なる者無し。古池に蛙の飛び込む音を聞きたりといふ外、一毫も加ふべきものにあらず」と、そっけない。子規にしたがえば≪古池に蛙が飛び込んだ音が聞こえてきた≫となる。これだと、たしかに「表面に現れたるだけの意義」である。

だが、この句は「蕉風開眼」の句として喧伝されている。何を持って「蕉風開眼」というのであろうか。その解を、長谷川櫂著『古池に蛙は飛びこんだか』(花神社)に求めてみよう。結論から言えば、蕉風開眼とは「俳諧に心の世界を開いた」ことだいうのだ。そのきっかけとなったのが「音」である。つまり「古池の句の『蛙飛び込む水のおと』は蛙が水に飛びこむ現実の音であるが、『古池』はどこかにある現実の池ではなく芭蕉の心の中に現れた想像上の古池である」とし、「この句は『古池に蛙が飛びこんで水の音がした』という意味ではなく、『蛙が飛びこむ水の音を聞いて心の中に古池の幻が浮んだ』という句になる」とする論を展開している。切れ字「や」の働きに注目している解釈である。すなわち≪古池に……≫ではなく≪古池や……≫なのである。この句を得て2年後の貞享5年(1689年)45歳の時に奥の細道に旅立ち、数々の名作を詠むことになるのである。

さて、蛙は水の中に飛び込むのであろうか。見たことのある人はいないはずである。嵐山光三郎は『悪党芭蕉』(新潮社)で「蛙が池に跳び込むのは、ヘビなどの天敵や人間に襲われそうになったときだけである。絶体絶命のときだけ、ジャンプして水中に飛ぶのである。それも音を立てずにするりと水中にもぐりこむ。ということは、芭蕉が聴いた音は幻聴ではなかろうか。あるいは聴きもしなかったのに、観念として『飛び込む音』を創作してしまった。俳句的に有名な『古池や…』は、写生ではなく、フィクションであったことに気がついた。多くの人が『蛙が飛び込む音を聴いた』と錯覚しているのは、まず、芭蕉の句が先入観として入っているためと思われる。それほどに蛙の句は、日本人の頭にしみこんでしまった。事実よりも虚構が先行した。それを芥川は『芭蕉は大山師である』と直観したのである」と述べている。長谷川は現実の音として蛙が飛び込む水の音を聴いているが、嵐山はその音を聴いておらず、フィクションである、と捉えている。古池はどちらも「心の池」としている。いずれにしても、この古池の句を境にして、死ぬまでのおよそ8年間に芭蕉の秀句、佳句、名句といわれる句が収斂している事実からも、「蕉風開眼」の句であることは間違いないのである。

山本健吉は『芭蕉その鑑賞と批評』(飯塚書店)で、「この句よりすぐれた作品は芭蕉にはいくらでもあるが、これ以上に俳句的伝達の根本的なあり方を見事に示しているものはない。この句は、芭蕉にとって開眼であるよりも、人々にとって開眼の意味を持ったのだ。……そしてこの句から、人々がはじめてある感銘を受けた瞬間、疑いもなくこれが俳句だという、初歩的ではあるが根本的な認識に導かれたはずなのである」と、なかなか興味深く面白い指摘をしている。

閑かさや岩にしみ入る蝉の声(奥の細道−芭蕉46歳)

≪しずかさやいわにしみいるせみのこえ≫
芭蕉の最高傑作の佳句。この句も、古池の句と同じように議論がつきない。この蝉は何匹か。全山に響き渡る蝉時雨か。どんな種類の蝉。<にーにー蝉>の小宮豊隆と、<油蝉>とする斎藤茂吉との議論は白熱したものとしてつとに有名。声がしみいるのだから、岩は柔らかいのか。などがあり、興味の尽きない問題の句である。これが余白の文学としての俳句のあるべき姿だ。解釈の多様性と余韻の幅の広い句ほど名句の証である。

この句は奥の細道の旅中、山形県の立石寺で詠んだのである。古池の句から2年後の1689年3月に奥の細道の旅に出かける。5月27日(太陽暦7月13日)に立石寺に到着した。そのときの奥の細道のこの章をみてみよう。

「山形領に立石寺(りふしゃくじ)といふ山寺あり。慈覚大師(平安時代の高僧で最澄の弟子・円仁)の開基にして、殊に清閑の地なり。一見すべきよし人々の勧むるによつて、尾花沢(おばねざわ)よりとつて返し、その間七里ばかりなり。日いまだ暮れず。麓の坊に宿かり置きて、山上の堂に登る。岩に巌(いはほ)を重ねて山とし、松栢(しやうはく)年ふり、土石老いて苔滑かに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音聞えず。岸をめぐり、岩を這ひて仏閣を拝し、佳景寂寞として、心すみ行くのみおぼゆ」とある。

茶色の部分の意は、≪岩の上にさらに岩が重なって山となり、生い茂る松や檜も老木と化し、土や石も老いさらばえて苔が覆い、岩の上に建てられた十二の堂は扉を閉じて物音一つ聞こえない。岩場のふちを這うようにして仏殿に参拝した。素晴らしい風景が静まり返るなか、心が澄みゆくのを感じたのである≫となる。これでこの句の出来た情景は言い尽くされている。

さて、この句はすんなりと出来たのではない。≪山寺や石にしみつく蝉の声≫→≪淋しさや岩にしみ込む蝉の声≫→≪閑さや岩にしみ入る蝉の声≫と、三段階の推敲を重ねて普遍的な価値を持つ句が完成した。だが、この句の解釈もまた大きく二つに分かれる。≪立石寺を覆う全山は夕暮のなかに静まりかえっている。その寂静のなかで蝉の声だけが、岩にしみとおるように鳴いている≫とするのがこれまでの解釈である。しかし長谷川櫂は、「『奥の細道』をよむ」(ちくま新書)で、このような解釈では「蝉が鳴きしきっているのに、なぜ静かなのかわからない」とし、「閑さや」と「岩にしみ入る蝉の声」は次元が違い、現実の音として「岩にしみ入る蝉の声」を聴いて≪原因≫、心の世界の「閑さ」にはっと気づいた≪結果≫とするのだ。つまり古池の句と同じ型の句としている。「その日の午後、芭蕉は立石寺の岩山に立つと、眼下に広がる梅雨明け間近な緑の大地を眺めた。頭上には梅雨の名残の雲の浮ぶ空がはるか彼方までつづいている。そのとき、あたりで鳴きしきる蝉の声を聞いて、芭蕉の心の中にしんと静かな世界が広がった。そこで芭蕉が感じた静けさはもはや現実の静けさではない。蝉が鳴こうともびくともしない、宇宙全体に水のように満ちている静けさ。立石寺の山上に立った芭蕉は蝉の声に耳を澄ませているうちに、現実の世界の向こうに広がる宇宙的な静けさを感じとった」とするのであるが、私はこの長谷川櫂の解釈に与したい。

さらに、山口誓子がこの句にどのような鑑賞をしているかを見てみよう。
遍満する静けさの中で、蝉の声がする。その声はあたりの岩にしみ入り、しみ透る声だ。遍満する静けさ故に、かくのごとく感受するのである。…「さびしさ」が「しづかさ」に転移したことに私は注目する。それは芭蕉胸中に寂静相を詠わんとして一方は「寂」を詠み、他方は「静」を詠んだのではあるまいかと。私は、…西行の「寂」が芭蕉にどのように受け継がれたかを検討してみたことがある。その結果、西行には「寂」のみがあったのに、芭蕉には「寂」に「静」が加わり、「寂静」となっていた。『芭蕉秀句』(春秋社)。このように誓子は、当を得た素晴らしい鑑賞と分析をしている。
なお、芭蕉が詠んだ蝉の句に、≪撞鐘(つきがね)もひびくやうなり蝉の声≫≪やがて死ぬけしきは見えず蝉の声≫がある。

海くれて鴨の声ほのかに白し(野ざらし紀行−芭蕉41歳)

≪うみくれてかものこえほのかにしろし≫
叙情性の色濃い秀句。この句は、5/7/5ではなく、5/5/7の破調である。「ほのかに白し」の解釈が鍵となる。暮れなずむ海が白いのか、鴨の声が寒さで白く見えたのか、鴨の声を白と認識したのか。「海くれてほのかに白し鴨の声」と比較すると、どうなるのか。曖昧さの強く叙情性の豊かなリズミカルな句である。

山口誓子はこの句を、「海が暮れた。鴨が鳴いている。その声は、ほのかに白い」と解し、「鴨の声がなぜほのかに白いのか、理由はない。芭蕉が発明しただけのことである」と、切れ味よく明快に解説している。『芭蕉秀句』(春秋社)

また、水原秋桜子は、『俳句鑑賞辞典』(東京堂出版)で、このように述べている。「この句の景は、冬の海の薄暮で、白く棚曳いた靄の中で、鴨の一群の濁み声がきこえる。その声と靄とが一つになった感じで、海の靄が白いのか、鴨の声が白いのか、わからぬものになってしまった−というので、遠くきこえる鴨の声の哀れさを実にするどく捉えてあるのです」と。

さらに、山本健吉は、「もし『海暮れてほのかに白し鴨の声』と作られていたら、その感動は死んでしまっただろう。また意味の上でも、これでは鴨の声そのものが白いということにはならぬ。『鴨の声ほのかに白し』とは、おそらく芭蕉が瞬間的に見とめ聴きとめたことの、単刀直入な表現なのだ。その昂揚した内的リズムが、この句の破調を生かしているのである。『この句体にさーつと擴つて夕闇の中に消えて行くような感じがある』と言った阿部能成の指摘は鋭い。鴨の声が消えていったあとには、ふたたびはてしもない闇が在る。『ほのかに白し』の余韻を、視覚的イメージとして描き出せば、そういうことになるであろう」という。『芭蕉その鑑賞と批評』(飯塚書店)

この句は、貞享元年(1684年)12月、尾張国熱田での、夕闇に舟を浮かべて風狂を楽しみながら詠んだ句である。「海暮れて」というから視界は失われているのだろう。夕闇につつまれた空間から聞こえてくる鴨の声を、「ほのかに白し」と表現した感覚が素晴らしい。聴覚から視覚への転化が近代的だ。

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