詞藻の海

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第10回 ≪薄き光の菫≫

山路来て何やらゆかしすみれ草(松尾芭蕉 1644―1694)

≪やまじきてなにやらゆかしすみれぐさ≫
この句を読むと、モーツアルト(1756―1791)の歌曲の中でも屈指の名曲「すみれK.476」を想起する。詩はゲーテ(1749―1832)の「すみれ」。詩を要約すると「すみれが草原に人知れず咲いていた。そこへ羊飼いの娘が歌いながらやって来た。ああ、私がこの世でいちばん美しい花であったらよかったのに。すみれは娘に摘んで胸に抱きしめてくれることを望むが、踏み過ぎて行く。それでもすみれは娘に踏まれて喜んで死ねるのだから幸せだった」というもの。ここでも菫は少女にも気づかれないほど目立たない小さな存在である。人は洋の東西を問わず、すみれの可憐さと、人目につかないで、ひっそりと佇んでいる風姿に心が惹かれるものらしい。ゲーテの詩にも「何やらゆかし」の東洋的な繊細な精神をみることができる。モーツアルトはこの詩がゲーテの作であるとは知らなかったらしい。しかし、ゲーテの詩魂を神の寵愛を欲しいままにしたモーツアルトは抒情性とダイナミズムをもってドラマ化している。詩と音楽が見事に調和した珠玉の歌曲であり、一度聴くと忘れ難い旋律である。

掲句は、『甲子吟行(野ざらし紀行)』の中でも、「道のべの木槿は馬に食はれけり」とともに最も愛唱された名吟の一つ。芭蕉とお互いに「我が友」と呼び合った山口素堂は「山路来ての菫、道ばたの木槿こそ、この吟行の秀逸なるべけれ」と高く評価している。前書きに「大津に至る道、山路をこえて」とある。山路を越えて来て、ふと見ると路傍に可憐な菫が咲いていた。そのほのかな紫色の菫を見ていると、わけもなくゆかしく、心惹かれる思いがする、の意。初案は「何とはなしに何やら床し菫草」であった。詠まれた場所も紀行中の「大津に至る道」ではなく、紀行の最後に熱田の白鳥町にある白鳥山法持寺に詣でた折であったらしい。江戸に帰って紀行を執筆中に推敲を経て上五の「何とはなしに」を「山路来て」に改めた。この措辞を得て句が引き締まった。

長谷川櫂は『四季のうた』第三巻でこう解説している。「光源氏は京北山の山中で、憧れの人である藤壺中宮の面影を宿す少女の紫の上と出会う。旅の途中、菫の花に芭蕉は、はるかな紫のゆかりを感じたのではなかったか。いつどこかであった覚えがあるのに思い出せない、そんな感じが『ゆかし』」と。この解説も何とはなしに分るかな。

菫程な小さき人に生まれたし(夏目漱石 1867―1916)

≪すみれほどなちいさきひとにうまれたし≫
小説家、随筆家、歌人などの文筆家の俳句を総称して「文人俳句」という。≪青梅の臀うつくしくそろひけり≫室生犀星、≪木枯らしや目刺にのこる海のいろ≫ 芥川龍之介、≪湯豆腐やいのちのはてのうすあかり≫久保田万太郎、≪盛塩の露にとけゆく夜ごろかな≫永井荷風など、多くの作家が秀句を残している。夏目漱石は正岡子規から俳句を学び生涯に2500句も作句している。漱石という雅号は、子規のペンネームの一つであったが、子規が漱石に譲ったという。漱石の由来は高校の漢文の時間に教わったのが懐かしい。唐代の『晋書』にある故事「漱石枕流(そうせきちんりゅう)」―石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す―に基づいている。中国西晋の孫楚は「「山奥で、石を枕にして、清流で口を漱ぐという生活を送りたい」というところを間違えて、「石で口を漱ぎ、流れを枕にしよう」と言ってしまった。王武子に指摘されると、「石に漱ぐのは歯を磨くため、流れに枕するのは俗塵に汚れた耳を洗うためだ」とこじつけた。この故事から「負け惜しみの強いこと、こじつけて言い逃れること、変わり者」の意味になった。

掲句は、漱石が30歳の時に詠んだ句。もう一度生まれかわれるならば、清らかで、めだたず、つつましく、俗塵に汚されない、菫のような花になりたい、という。ちなみに、菫の花言葉は、誠実、真実の愛、謙虚、純潔を表す。同時期には≪人に死し鶴に生れて冴返る≫とも詠んでいる。鹿に生まれたいと言った人もいる。≪転生を信ずるなれば鹿などよし≫斎藤空華(1920―1950)

漱石は、明治44年(1911年)文部省から文学博士号を贈られたとき、「これまでずっとただの夏目なにがしかで生きてたし、これからもただの夏目なにがしかで生きたいから」と言って辞退したという。この言葉からも、漱石の生き方が窺えるエピソードである。

また漱石は、『草枕』で人間世界から離れて生きていきたいが、そうはできないもどかしさを書いている。「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」「人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう」と、結局は人の世に生きていかねばならない。ならば、人と余りかかわりを持たない、菫のような小さな人になりたいという。俗にまみれた人間や世を嫌悪した漱石らしい。

蝶とべり飛べよとおもふ掌の菫(三橋鷹女 1899―1972)

≪ちょうとべりとべよとおもうてのすみれ≫
わが家の小さな庭に菫が咲いている。朝露に濡れた濃紫、薄紫、黄色、橙などが光を放って風に揺れている。濃紫の菫は揚羽蝶の羽になにやら似ている。そんな菫を摘んで掌に二つ並べて載せて見ていると、まるで蝶が飛んでいる幻想を観ているような錯覚におちいる。作者もそんな幻想の世界に遊んでいるのだろうか。それとも、あたりを飛んでいる蝶のように元気になって欲しいという願望が湧き起こったのだろうか。抒情性豊かで幻想に満ちた良い句だと思う。同時期に≪すみれ摘むさみしき性をしられけり≫の句も詠んでいる。可憐で優しい風姿の菫と、「さみしい性」の呼吸がぴったり。さみしい性ゆえのすみれ摘み。なお、三橋鷹女については第5回「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」を参照されたい。

天網は冬の菫の匂かな(飯島晴子 1921―2000)

≪てんあみはふゆのすみれのにおいかな≫
「天網」とは、「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」で、天が悪人を捕らえるために張り巡らした粗い網のこと。天は必ず善に味方し、悪人を懲らしめるとする老子の教え。だが掲句はこのような教訓的・道徳的な意味合いではない。

≪水の地球すこしはなれて春の月≫の作者・正木ゆう子は『現代秀句』(春秋社)で「天網イコール冬の菫の匂いという作者の意図より、私は自分の解釈、即ち、天網は冬の菫の匂がする、という解釈にこだわりたい。あるとも思えない冬の菫の匂いだからこそ、読者は真空に引っ張り込まれるように、一句のうちに引き寄せられ、架空の網の匂いが冬菫の匂いだと納得させられてしまう。天網に匂いがあるという断定自体がこの句の眼目であると私は考える」と鑑賞している。

また、≪生まれくる前から嗤っていたお尻≫≪女身とは光をはじく岬かな≫の作者・鎌倉佐弓は『現代俳句ハンドブック』(雄山閣)でこのように解説している。「天網がもし空いっぱいに広がっていたら、きっと『冬の菫の匂い』がすると想像した句。冬のうちに咲いてしまった菫は、まわりに花がみあたらないだけに、可憐な明るさで視野をうるおす。風に洗われてあるかなきかの香をふりまく菫。天網がこの花の匂いならば、正義をふりかざすことなく、さりげない心地よさで、悪事に気づかせ諌めてくれることだろう」と。

飯島晴子は日常では容易に発見できないような素材に焦点を当てた≪泉の底に一本の匙夏了る≫がある。夏の終わりに、泉の底に一本の匙を見つけた。その匙に夏の思い出を発見した作者がいる。夏休みに子供が遊びで投げた匙なのか、恋に破れた女が投げたレモンの匂いのする匙なのか。老いては、老いを詠んだ句に≪ 蛍の夜老い放題に老いんとす≫がある。2000年に老い放題に老いて、80歳で自ら死を選びこの世から去った。≪かくつよき門火われにも炊き呉れよ≫という句もある。

かたまつて薄き光の菫かな(渡辺水巴 1882―1946)

≪かたまってうすきひかりのすみれかな≫
父は日本画家の渡辺省亭。「現代俳句ハンドブック」(雄山閣)によると、水巴の特色をこのようにとらえている。「虚子は『進むべき俳句の道』で『無常のものを有情に見る』特色を挙げて賞揚した。父譲りの繊細で瀟洒な芸術的稟質に加えて純粋生一本な性格で、江戸趣味を湛えた唯美的世界を作品化、清澄典雅な句風を示す」と。硝子のような鋭敏にして繊細な美的感覚がなければ、掲句のような作品を創作することはできまい。「俳句には気品がなければいけない」は水巴の箴言であるが、たしかに気品に満ちた珠玉の佳句が多い。≪てのひらに落花とまらぬ月夜かな≫≪菊人形たましいのなき匂かな≫≪紫陽花や白よりいでし浅みどり≫など、掲句と共に、繊細にして瀟洒、唯美にして清澄の極みと言わざるを得ない。

さて、掲句は「鹿野山にて」の前書きがあり千葉県にある山。水原秋桜子はこの句を『俳句鑑賞辞典』(東京堂出版)で次のように解説している。「菫は誰も知るとおり、紫色の濃いものと薄いものとがあり、濃い方はかたまって咲くことが少なく、薄いものの方が群れて咲く習性をもっているらしい。ことにそれは山路の岨(そば)などにみられるのであるが、どちらが好きかと問われれば、濃いほうをあげる人が多いであろう。しかし、作者は薄い方が好きで、ことにかたまって咲きながら、淡い光を放っているところに、菫らしい本当の美しさを発見しているのである。いわれて見ればそのとおりで、濃い菫とその影とが、単独に散在しているよりも、淡い光のかたまっているほうが、いつまでも印象にのこるようである」と。筆者としては、この菫を夕日に照らされた一郡の淡い紫色を放つ風姿を想像する。

他に心惹かれる作品がある。「菓子欲しけれど無し句に作る」の前書きのある、≪うすめても花の匂ひの葛湯かな≫がある。神奈川県鵠沼に強制疎開させられたときの詠。食料の乏しい戦後間もないときに、葛湯を薄めて家族で分け合って食べたのだろう。それでも葛の匂いはほのかにしたのである。辞世となった句で、清楚な気品が漂う水巴独特の美意識を感じさせる秀句である。私も追体験で葛湯を食してみたが、爽やかな香りを漂わせさっぱりとして美味しかった。

また、関東大震災で被災して大阪の豊中に仮寓していた時に、≪天渺々笑ひたくなりし花野かな≫という句を詠んでいる。果てしなく広がる青い秋の空。そんな日に野に出れば草花が咲き乱れている。思わず忘れていた笑が込みあげてきた。しかしこの句はそこはかとなく悲しみを湛えている。涙に泣くよりも、乾いた笑いに悲しみが深いときがある。

ところで、2009年11月29日にこの世を去った川崎展宏に、≪「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク≫という句がある。戦艦大和の最後を電信の形にし、人の世の「悲しみ・切なさ」を「すみれ」に託して詠った句である。「スミレサク」が泣かせる。本当に切ない。この句が「サクラチル」だったら戦争讃歌の駄句となったであろう。

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