詞藻の海

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第11回 ≪花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ≫

さまざまのこと思ひ出す桜かな(松尾芭蕉 1644−1694)

≪さまざまのことおもいだすさくらかな≫
今を盛りに咲いていている桜を見ていると、これまでの長い歳月に織りなしたさまざまなことが、しみじみと思い出され感慨無量である。昔仕えていた主人の面影を思い出しての句。
芭蕉がこの句を詠んだのは、元禄元年(1688年)3月、奥の細道の旅に出る丁度一年前のことである。亡父の33回忌の法要のために伊賀上野に帰郷中に、かつて料理人として出仕していた藤堂良忠の遺子藤堂良長(俳号・探丸子)の屋敷で催された花見の席に招かれた折に詠んだ挨拶吟である。良忠は俳号を蝉吟といい、芭蕉はこの蝉吟に俳諧を教えていた。この蝉吟との出会いが芭蕉を俳諧の道に狂わせる端緒ともなり、藤堂家での思いは一入なものがあったであろう。蝉吟は寛文6年(1666)に自ら主催した花見の宴の後に25歳で急逝してしまう。その後、芭蕉は江戸へ出て俳諧の道に没入していくことになる。

まさをなる空よりしだれざくらかな(富安風生 1885−1979)

≪まさおなるそらよりしだれざくらかな≫
この句は、五・七・五で読むと「マサオナル ソラヨリシダレ ザクラカナ」となり、「シダレザクラ」が分断される。このように調べの切れと意味の切れがずれることを「句またがり」という。
真青な空から降ってくるような枝垂桜。花のなんと美しいことか。これ以上省略のできないぎりぎりの表現。主題の「しだれざくら」を見事に彫刻した技に驚きを覚える。青いキャンバスに紅のしだれざくらを描いた一幅の絵を見ているようだ。
風生にはこんな逸話がる。高浜虚子は≪風生と死の話して涼しさよ≫と詠えば、後に風生は≪死の話いまに涼しき思い出に≫と詠っている。虚子にとって風生は「死の話」をするほどの気の置けない仲だったのだ。また風生に≪むかつき辞表の辞の字冬夕焼≫がある。この句は風生が逓信省の事務次官を経験し、戦後には、電波管理委員会委員長をしていたとき、吉田茂宰相に楯突いて辞表を出したときに詠んだものである。
風生の秀句に、≪よろこべばしきりに落つる木の実かな≫がある。まるで、人間と木が対話しているように、木にも心があるのかも知れない。≪みちのくの伊達の郡の春田かな≫は、北海道出張の帰路の車中吟とか。福島県の「伊達郡」を通過している時に、突如として春田が開けてきたのだろう。この句は何といっても韻律が素晴らしい。言葉による音楽だ。一度で簡単に暗誦してしまうほどの名句の条件を備えている。

ゆさゆさと大枝ゆるる桜かな(村上鬼城 1865−1938)

≪ゆさゆさとおおえだゆるるさくらかな≫
鬼城は鳥取藩士の長男として生まれたが若くして重度の聴覚障害者となり、八女二男を抱えて高崎裁判所構内代書人として貧窮の生活を強いられた。大須賀乙字は「古来境涯の句を作った者は芭蕉を除いては僅かに一茶あるのみで、その余の輩は多く言ふに足らない。しかるに、明治大正の御代に出でて、よく芭蕉に追随し一茶よりも句品の優った作者がある。じつにわが村上鬼城その人である」と述べている。
桜の咲くころは雨が多く、強風が吹く最悪の天候である。この句も強風に大枝が揺れて花もゆさゆさと揺れている。しかし花は散ることもなく咲き盛っている。
鬼城の他の句には、老残の哀れさを醒めた目でみつめている≪鷹のつらきびしく老いて哀れなり≫、死期がそこまで来ているのに死に切れないでいる冬蜂をとおして、自己の死をもみつめている≪冬蜂の死にどころなく歩きけり≫がある。避けることが出来ない老いへの諦観がにじみでている。
ちなみに、風にゆさゆさと揺れているのではなく、大男が担いだ桜が揺れている情景を詠んだ句がある。≪ゆさゆさと桜もて来る月夜かな≫だ。月夜に、花見酒に酔ってよろめきながら、桜の大枝を担いだ大男がやってきた。よろめき歩くと大枝がゆさゆさと揺れて、桜の花もゆれ輝いている。桜花が爛漫と咲き乱れる春の月夜にふさわしい句といえる。作者は鈴木道彦(1756−1819)。

花あれば西行の日とおもふべし(角川源義 1917−1975)

≪はなあればさいぎょうのひとおもうべし≫
この句は「花あれば」の解釈によって句意が異なる。「ば」が確定条件なのか仮定条件なのかを見きわめることが必要だ。「花あれば」は「已然形+ば」で確定条件をあらわすので、「花が咲いたので」の意。仮定条件ならば、「花あらば」としなければならない。「未然形+ば」の形になる。正岡子規の有名な≪柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺≫は、確定条件なので、「柿を食べていると」の意となる。
では、それぞれの鑑賞をみてみよう。
「花が咲いた。花を見ながら、今日は西行法師を偲ぶ日としよう。『山家集』を書架から取り出して、読みながら、西行を思い、吉野の桜を偲ぼうではないか」―草間時彦『俳句十二か月』(角川選書)
「花が咲いているので、今日を西行法師の日と思おう」―島田牙城『名歌名句辞典』(三省堂)
「(どこであろうといつであろうと)桜が咲いていれば『西行の日(忌日)と思うべきだ』」―宗内数雄『昭和の名句』(毎日新聞)。
「花が咲けばそれが西行の日、西行が死ぬのを願ったその日だというのだ」―山本健吉『現代俳句』(角川選書)
西行は≪願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ≫と歌った。この歌の願いのように、西行は1190年陰暦1月16日に73歳の生涯を閉じた。「その」は釈迦入滅の日(2月15日)を指す。この西行の歌を踏まえた他の句に、≪死なば秋露の干ぬ間ぞ面白き≫(尾崎紅葉)がある。紅葉は死ぬのなら秋がいい。それも秋草に降りた朝露の乾かない内に死にたいと願った。『金色夜叉』で一世を風靡した紅葉は、1903年(明治36)10月30日に願いどおり秋に胃癌で37歳の若さで奥津城へと旅立ったのである。

ちるさくら海あをければ海へちる(高屋窓秋 1910−1999)

≪ちるさくらうみあおければうみへちる≫
この句も、≪花あれば西行の日とおもふべし≫と同じように、「海が青ければ」と仮定条件として解釈するのは文法上の誤り。「あをければ」は形容詞「青し」の已然形「青けれ」に接続助詞の「ば」が付いたものであり、「海が青かったので」の確定条件の意である。「海が青かったならば」と仮定形にするには未然形の「青く」に「ば」が付いた形となる。つまり「海が青かったなら」「海へ散る」という仮定の意味ではなく、「海が青いので」「海へ散った」という意味である。
飯田龍太、稲畑汀子、森澄雄の監修になる『名句鑑賞辞典』(角川書店)で、川名大は次のように解説している。「この句は春の一点を諷詠したものではない。紺碧の海へと桜の白い花びらをひらひらと散らせることで、澄明で純化された唯美的世界を仮構したのは、作者の美意識に基づく詩的意志である。作者は日本人の心を詠ったものと言うが、昭和10年代のウルトラナショナリズムの中で、特攻隊の散華の精神のコードとしても読まれたという」と、核心に迫る鑑賞である。
桜をこよなく愛した西行は桜の満開の中で死ぬことを願った。その願いどおりに死を遂げたが、桜は散るときは断崖にそそぐ紺碧の海へと願っていると作者はみているのだ。白い桜の散り行く場所をどこまでも青い海がふさわしいとする作者の美意識がある。しかし、特攻隊の散華のコードに利用されたことは、この句の悲しみであろうが、紺碧の海へ次から次へと限りなく散りゆく花吹雪を想像するだけでも美しい。

葉桜の中の無数の空さわぐ(篠原梵 1910−1975)

≪はざくらのなかのむすうのそらさわぐ≫
筆者が通勤する坂道の両側にソメイヨシノの桜並木がある。また少しゆくと、八重桜としだれ柳がある。毎年桜の季節になると、この坂道を登るのも楽しくなる。道々思い出すのが素性法師の≪見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今和歌集)≫という和歌である。この歌のように、紅の桜花と緑のしだれ柳が混ざり合って錦の織物の景となる。色彩に満ちた春の歌である。この桜が散り、今は緑色の葉桜が風に揺れて葉擦れの音が爽やかに響いている。
掲句は、この葉桜の葉が一枚一枚触れ合って音楽しているさまを「空さわぐ」と捉えている。葉と葉の間から無数の青空が覗き、葉桜の緑と紺碧の空が美しい。初夏の清々しい空の明るさが印象深い句である。
島田牙城は「壊れやすい硝子細工を手にしているような危うさがある。研ぎ澄まされた感性が産んだ空間だ。「葉桜」は、五月の若葉の桜木である。「さわぐ」は具体的には風のおののきだが、もっと内面的な、青年期の明るい鬱とでもいえる脆さにもつながっていよう」と解説している。『名歌名句辞典』(三省堂)
この葉桜の空に金星を見た岩田由美(1963−)という俳人がいる。≪葉桜の中に金星あらはれて≫だ。宵の明星なのか、明けの明星を見たのだろうか。そこはかとなく夢のある詠である。あなたはこの葉桜の無数の空に何を見るのでしょうか。金魚が泳いでいる景を描くのも面白い。

花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ(杉田久女 1890−1946)

≪はなごろもぬぐやまつわるひもいろいろ≫
高浜虚子は「此句の如きは女の句として男子の模倣を許さぬ特別の位置に立つてゐるものとして認める」とし、また水原秋桜子は「久女意外の当時の女流では詠み得ない境地」とし、草間時彦は「花衣を詠んだ句としては、今後、これ以上の作は現れないであろう」と高く評価している。
この句に久女自身の語りを見てみよう。『杉田久女随筆集』(講談社文芸文庫)で、「大正女流俳句の近代的特色」の中で「婦人に関した材料をよめる句」として自身の句を挙げて、第三者の解説のように語っている。
「花見から戻ってきた女が、花衣を一枚一枚はぎおとす時、腰にしめている色々の紐が、ぬぐ衣にまつわりつくのを小うるさい様な、又花を見てきた甘い疲れぎみもあって、その動作の印象と、複雑な色彩美を耽美的に大胆に言い放っている」と的確に分析している。
「疲れきって家に帰ると、歓楽のあとの寂しさがしみじみと身にしみて感じられる。着物を脱いで、衣桁に掛けて行く。身を縛している紐を一本ずつほどいて脱いでゆく。なんと紐の多いことだろう。花衣を着るときや、着ているときでなく、脱いで行く動作で捉えたところに、かえって花見の楽しさと、着物の絢爛さが目に浮かぶ」―草間時彦『俳句十二か月』(角川選書)
「身に『まつわる』『いろいろ』なもの。それは女性の肉体だけでなく、精神をも規制している種々の価値観かも知れない。女はかくあるべきという時代の観念に、着物を着ていた頃の日本女性は支配されていた。自意識の強かった久女は、その時代の多くの女性達よりも早く自我に目覚めていた。それだけに、心身にまつわる様々なものを敏感に感じ取っていたに違いない。そこから自由になりたいために。それは着物を脱ぎ身体を開放する時のあのもどかしさ、うとましさに似てはいないだろうか」―西村和子『名句鑑賞読本(茜の巻)』(角川書店)
草間は俳句の表の意味を、西村はこの句に託した裏の意味を解説して興味深い。黛まどかも『あなたへの一句』(バジリコ)で「一見美しく艶のある句ですが、実は作者がこの紐に託したものは、当時(明治後半〜昭和初期)の女性を縛っているたくさんの枷でした。本来辛く苦しい心の叫びを、美しい景に昇華することによって、より深い余情が生まれています」と、女を縛っていた古い慣習からの開放の心の叫びであることを指摘している。
掲句と家庭騒動を引き起こした問題作≪足袋つぐやノラともならず教師妻≫を合わせて鑑賞すると味わいが深くなる。この句はイプセン作『人形の家』の女主人公ノラをとおして、フェミニズムを題材にしたもの。前掲書の「大正女流俳人の近代的特色」で、「過渡期のめざめた妻は、色々な悩み、矛盾に包まれつつ尚、伝統と子とを断ちきれず、ただ忍苦と諦観の道をどこ迄もふみしめてゆく」と述べている。良妻賢母がこの時代の女のたしなみであった。「過渡期のめざめた妻」は現状打破のできない嘆きと悲しみをこの句に込めている。この句の出来る3年前の大正8年1月に、島村抱月の後追い自殺をした松井須磨子の事件があった。ノラの役を演じて当時の人気女優であり、抱月と不倫の恋に生きた女であった。
ちなみに、第4回で採りあげた≪羅や人悲します恋をして≫の作者鈴木真砂女となると風景は一変する。≪冬菊やノラにならひて捨てし家≫と詠い、時代の流れの違いをあらわにしている。

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